今年(2003年)の1月に日比谷野音で「World Peace Now」のイヴェントがあり、そこに制服向上委員会とともに出演したのだが、その折り新宿ロフトプラスワンの平野氏からイラクへ行かない?と声をかけられ、条件反射的に二つ返事で行くと応えたのが始まりだった。
そこへ元赤軍派議長の塩見隆也氏なども来て彼も行くと言うので、話がややこしくなるからやめようよと茶化したことがいまでも笑えます。
“パンタとレイニンの反戦放浪記”(彩流社)という本でこのイラク行き珍紀行のことは詳しく書かれているのでここでは簡単に話していきますが、そもそも一水会という新右翼団体の木村三浩議長が仕切ったもので、30数名の極右、極左、ダンサー、ロッカーなど入り乱れての言語道断、空前絶後の呉越同舟、いや左右同機のとんでもない珍道中が開始されたのである。
砂漠を駆けめぐらなければならなくなったときの為のコンパスとか、カラシニコフをぶっ放すときのための軍手とか、泥水を飲まざるを得なくなったときの為に征露丸とか、あくまでも開戦した時を想定した戦時の装備でバクダッドまで出かけたのだが、いざ着いてみると、大会議場とかホテル会議場での交流及び各国関係者との集い、元駐日イラク大使が来たり、外務大臣やらバース党№2のマハディ・アマシュ女史とかがやってきて、やたらフォーマルなイヴェントが続くので、街に出て、結局、スーツを買うハメになってしまった。
フォーマルと言えば、イラクファッションショーというのに招待されたのが、とびきり可笑しい出来事だった。
おいおい、これから戦争だろ?・・・
ファッションショーかい!?
内容は古代シュメールからアッカド、アッシリア、バビロニアなどのコスチュームの変遷を男女6人くらいのダンサー&モデルで紹介していくというものなのだが、中世になるとそれこそ絵に描いたようなシンドバッドの格好になってくるのが、当たり前なのだが、笑えてならなかった。
(2003年5月)