1985年のゴットランド島を舞台にした映画『サクリファイス』(監督:アンドレイ・タルコフスキー)をご存じだろうか(以下、ネタバレ)。
本作はJ・S・バッハの「マタイ受難曲」をバックに、没薬を受け取ろうとする乳飲み子キリストの手と捧げる賢者の横顔のアップではじまる。レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画『東方三博士の礼拝』である。
ゆっくりとカメラは上昇し、キリストの顔を通過して「命の木」と「善悪を知る木」と思われる樹木、その命の木に茂った葉が画面を覆う(諸説あるが、命の木はカバラにおける「セフィロトの樹」だといわれている)。
場面は入江に変わり、枯れた1本の松を主人公が植えている(物語は、この松の枝のアップで終わる。陸前高田市の「奇跡の一本松」を思い出す人は多いだろう)。主人公は作業をしながら、9~10歳と思われる息子に昔話を聞かせる。
老僧が枯れた木を植えて、若い僧に「この木が生き返るまで、毎朝水を与えなさい」と指示をした。若い僧が3年間水を与え続けると、ある日、花が咲き乱れたという。「この話の教訓は、決まりごとや手順の大切さだ」と主人公は息子に諭す。映画ではここで教訓は終わるが、原作小説(タルコフスキー著 鴻英良:訳 河出書房新社)では「必ず、行うならば、世界は変わるだろう! 何かが変わる! 変わらないはずがない!」と、主人公の感情は飛躍する。
そして、1998年12月20日の沖縄市体育館。第1回『とら・寅・トラ』が開催された(第1回は12月20日でタイトルは『とら・寅・トラ』だった)。出演者は、佐渡山豊・瀬戸口修・遠藤ミチロウ・泉谷しげる・山崎ハコ・山木康世・北炭生・石井正夫・PANTAなど。PANTA(Vo&G)のセットリストは「さようなら世界夫人よ」「J」「落ち葉のささやき」「瓦斯」「R★E★D」「万物流転」で、佐渡山豊がブルースハープで「落ち葉のささやき」に参加している。
PANTAは打ち上げで瀬戸口修と遠藤ミチロウと朝まで語り明かす。「万物流転」の話題になったとき、瀬戸口は『サクリファイス』を思い出して、「歴史は同じことを繰り返している。でも少しずつ変わっていく。変わらざるを得ない」と話す。
瀬戸口の話を聞いたPANTAは、肩の力がスッと抜けたという。「panta rhei」に対する「なにも変わらない」という独自の解釈から、ヘラクレイトスの「万物は流転する」という本来の意味に戻ることができたのだ。「なにも変わらない」という言葉によって沈黙の沼に足をとられたPANTAは、「でも少しずつ変わっていく」という言葉によって抜け出すことができたのだろう。
『サクリファイス』では『東方三博士の礼拝』が数回登場する。命の木がモチーフのひとつになっていることは明白だ。命の木とセフィロトの樹を同じとするなら、『サクリファイス』は頭脳警察のアルバム『7』と『歓喜の歌』にシンクロすることになる。この偶然は必然なのだろうか。
ストーリーの中盤で核戦争が勃発する『サクリファイス』だが、原作小説が執筆されたのは84年で、映画の公開が86年(日本公開は87年)。86年といえば、チェルノブイリ原子力発電所の事故が起きた年である(4月)。これ以上のシンクロがあるだろうか。恐るべし、タルコフスキー。文明批評・批判をはるかに超えた洞察力とエゴで、創作と向き合っていたからこそ生じた符合なのだろう。予言というような安易な言葉を差し挟めない迫力とエゴに満ちた映画である(エゴのない創作物ほど退屈なものはない)。
ちなみに、核使用をイメージさせる「黒い虹」が収録されたアルバム『R★E★D』の発表も86年(5月)。これはもちろん偶然である。偶然ではあるが、PANTAが強烈なエゴを貫こうとしてアルバムをつくっていた結果なのかな、などと思ってしまうのだが。
(フリーライター:須田諭一)
写真 寺坂ジョニー