政治的パッションとはなにか? かつてボブディランは「ハリケーン」という曲で、「この国に生まれたことを恥じる」とアメリカを断罪した。一方、PANTAは「七月のムスターファ」で、「たったひとりで1時間 アメリカと闘った 勝ち誇れ」と14歳の少年を称えた。これが私のいう政治的パッションである。
「七月のムスターファ」はアコースティック編成がいい。私は基本的にバンドサウンドが好きなのだが、なぜか「七月のムスターファ」はアコースティック編成のほうが、感情移入ができる。
アコースティック編成といえば、1991年2月4日、池袋の東京芸術劇場で行われた「ネオ・アコースティック・ミーティング」を思い出す。このイベントに頭脳警察は、PANTAとTOSHI、藤井一彦のアコースティック編成で臨んだ。
セットリストは次の11曲(1曲目から4曲目までがPANTA&TOSHIのみ、5曲目から10曲目まで藤井一彦が参加、アンコールは藤井一彦とどんとが参加)。
1. 暗闇の人生
2. まるでランボー
3. 月蝕と日蝕の谷間で
4. お前と別れたい
5. スホーイの後に
6. ひとつぶの種になって
7. 詩人の末路
8. 少年は南へ
9. People
10. 万物流転
アンコール
11. 悪たれ小僧
古代ギリシャ風の円柱が4本並べられたステージは、ライブハウスにはない落ち着いた雰囲気を醸し出していた。それに応えるかのように比較的落ち着いた楽曲が多く、この日の頭脳警察は大人の情感で会場全体を包んだ。最近でこそ藤井一彦は、SIONのアコースティックユニットなどでアコースティックギターを弾く機会があるが、この時期のアコギは貴重な演奏だったはずである。
ところで、できたばかりの劇場だったからか、クラシックやオペラ、バレエなどを目的につくられた劇場だったからか、東京芸術劇場のスタッフは、出演者のなかに頭脳警察の名前を見つけると嫌がったそうだ。若き日の頭脳警察のステージを知る者が、スタッフにいたのだろうか。それにしても時代錯誤というか、いまだに劇場に迷惑をかけるようなパフォーマンスをしていると思っていたのだろうか。
もちろん、劇場に迷惑をかけることなくステージは無事終了して、イベントスタッフ全員がバタバタ撤収作業をしているなか、1人の男がバックステージに現れた。男は「PANTAに会いたい」とスタッフに告げたが、すでにPANTAとTOSHIは劇場を後にしていた。
男は、村八分のチャー坊こと柴田和志だった。この時期、チャー坊は村八分として断続的にライブを行っていたので、対バンの誘いだったのだろうか(結局これ以降、村八分と頭脳警察が同じステージに立つことはなかった)。
90年前後の村八分は、オリジナルメンバーは参加せず、チャー坊を支えるバックも固定しないセッション性の高いバンドだった。それでもチャー坊の不良性はギンギンで、異常なほどの近寄りがたさをステージから放っていた。
チャー坊は、PANTAやTOSHIと同じ1950年生まれなので、いい大人に向かって「不良」という言い方はおかしい。しかしやっぱり、それでも「不良」としか形容できないミュージシャンだった。「角がとれる」という言葉は、彼の辞書には生涯なかったのだろう。
こうやって当時の記憶を整理してみると、東京芸術劇場のスタッフが頭脳警察を嫌がったのは、あながち見当はずれではなかった。そんな気がしてきた。丸くなっても角はとれない。そういう頭脳警察の本質に対する警戒心だったのかもしれない。
(フリーライター:須田諭一)