20代そこそこの折り、頭脳警察として九州をツアーで周り、阿蘇の黒川温泉で一週間ほど休暇を取っていた。
シーズンオフということもあり、オレたち以外に客はなく、露天風呂のお湯で機材車を洗ったり、裸で庭園を走り回ったり、それは御乱行と呼んでもいい代物であった。
街まで買い出しに行くのであるが、免許を持ってるのはオレだけしかいない。
買い物が終わり帰って来るときに、それはそれは素晴らしい“やまなみハイウェイ”というワインディングロードを走ることになるのだが、運転してるのは新車で購入したハイエースロングとは言え、所詮、機材車であり、その事にオレの心は、不満そしてまた不満が日々積み重ねられていった。
ここはこんな機材車で走る道ではない。スポーツカー、そうイタリー製のスポーツカー、出来れば色は赤であって欲しい・・・という願いが沸々と革新的に芽生えていったのであった。
東京へ帰って、随分と日が経った頃、ある夜中に友人と帰宅途中、運転しているオレの左目を、確かに丸いテールランプが、かすめていった。
オレは友人に、いまの何だろ? まさかフェラーリ250? 当時、まだフェラーリがフェラリーと呼ばれていて、マニアでも見たことも乗ったことも触ったこともないような、そして日本に存在するのかどうかもわからない時代で、まして一般には、フェラーリなん
て知られているわけもなく、いや外車というもの自体がひどく非日常のものであった。
Uターン禁止だったにも関わらず、オレは迷いもなく車を反転させ、その車のあったあたりの中古車屋へ、タイヤを鳴かせながら戻っていった。
かすかな街灯の明かりに映し出されたその車の前で、オレたちは無言で立ちつくしていた。
この車は一体なんだ?何て言う車なんだ? 赤い小ぶりのそのスポーツカーはダッシュボード周りはまるでフェラーリ250そのものだし、丸いふたつのテールランプもそれっぽい。でも違う、これはフェラーリじゃない。
ランボルギーニ・ミウラのようにフロントフードに黒い樹脂でラジエターの熱抜きのスリットが開けられ、スタイルはフィアットクーペを大胆にスマートにしたような姿態。
しかし、まだまだ青いふたりの知識では、その車の正体を解き明かすことは出来なかった。
翌日から二人の調査が始まった。車関係の本を調べまくり、それが“シムカ”というフランスの車であることがようやく判明したのは数日経ってからのことであった。
シムカというのは、主にフィアットのライセンス生産をフランス国内でしていた会社でフィアットの850をベースにしたシムカ1000というセダン、及びそれをベースにシムカ1000クーペという車を生産するようになった。
中でも1000セダンは五木寛之さんの本にも登場してくるのでなじみのある人もいるかもしれないが、その1000をベースにした1000ラリーは、現在でもマニアにはよだれ物である。
後に1000クーペをベースに排気量を1200ccにスープアップし、空冷のリアエンジンを水冷にし、フロントにラジェターを持ってきたシムカ1200Sクーペを発表するのだが、それがこの赤い小ぶりな車の正体であったのだった。