芝居なのか、ライブなのか。多方面で活躍する踊り子の牧瀬茜が脚本を書いたとか、PANTAが18歳の頃の話になるとか、インタビューを通じて情報は漏れ伝わっていたものの、この日大岡山に集った観客はどんな舞台になるのかそれぞれの頭の中であれこれと想像していたのではないだろうか。
ステージにはPANTAのアコースティック・ギターや譜面台、椅子がセットされ、他にはテーブルの上の煙草など少しの小道具が置かれているだけ。開演時間を過ぎるとPANTAがステージに現れ、「鉄橋の下で」が歌われる。通常のライヴと同じ立ち上がりに客席もどう反応すれば良いのか、戸惑っているようにも見える。短いMCを挟んで今日のテーマである「タンバリン」。更に牧瀬茜が合流し、自伝的小説『頭脳警察 Episode Zero』でも描かれた、PANTAが上野のキャバレーで弾き語りのアルバイトをしていたという独白が終わった頃にはいつの間にかライブから芝居にすり替わっていた。PANTAは一人称が「僕」の18歳に戻り、牧瀬は年上のストリッパー役だ。ただ、PANTAはギターを抱えて座ったまま、牧瀬も大きなアクションは起こさない。朗読劇のような台詞のやり取りと独り語りで物語は進み、細かな説明はないが客席は自然と50年前、不忍池の畔にあったというキャバレーを頭の中に描いていったのだ。
キャバレーのステージを再現するように、ザ・サベージの「いつまでも いつまでも」やオックスの「スワンの涙」、ザ・ランチャーズの「真冬の帰り道」といったグループ・サウンズの曲をPANTAが歌う。演奏が終わると拍手が起こるが、客席はふたりの登場人物のどちらかに感情移入しながらもキャバレーの客としてステージに参加しているような、はたまたPANTAのライブを観ているような、不思議な感覚に陥っていく。
初めてふたりの心情が吐露された後、PANTAが歌ったのは青くストレートな歌詞とメロディが実にかつての彼らしい未発表曲「だからオレは笑ってる」。そしてヘルマン・ヘッセの詩集と昨日出会ったという設定で歌われた「さようなら世界夫人よ」。ギターの弾き方も実に若々しく、小技が普段に増して少ない、ひたすらストロークで押し切るシンプルさだ。更にストーリーは展開し、一部の最後は牧瀬茜による、当時のキャバレーで行われていたヌードショーの再現。笑顔で踊ることで肉体のしなやかさ、美しさがより際立つようだった。
二部に入ると芝居と歌が交互に展開し、牧瀬茜作詞・PANTA作曲による新曲「網タイツはわたしの制服」も挟みつつ20代の女性と10代の男性ならではの葛藤が語られ、PANTAの「わからないよ、何にもわかっちゃいねえよ」という台詞に続けて歌われたのは「それでも私は」。PANTAが68歳の声と姿のまま、18歳の切実さを見事に表現した今日の白眉と言えよう。そして時代は現代へと戻り、再び「タンバリン」。PANTAが歌い、牧瀬がタンバリンを片手に踊る。ステージは芝居からライブへと立ち戻り、もうひとつの新曲「風の踊り子」が牧瀬のメインボーカルで披露されて大団円。
ストリップに始まり芝居や歌を含むパフォーマンスまで活動範囲を拡げてきた牧瀬茜と、古くから演劇との関わりが深く近年ではライヴに朗読を取り入れたり映画やドラマへの出演も盛んなPANTA。昨年出会ったばかりのふたりが交錯し、お互いの自分史を基に虚実入り乱れたストーリーを紡ぎ出したこの日のステージは、終わってみればこれまで誰も経験したことのない表現になっていたのではないだろうか。上演中には客席のあちらこちらで涙を拭う姿が見られ、終演後には再演や続編を望む声が多く聞かれた。この不思議で濃密な時間を作り上げたのは、風の踊り子の仕業なのだろうか…?
2018年3月23日 大岡山 Goodstock Tokyo
『タンバリン』牧瀬茜 / PANTA 特別公演
出演 : 牧瀬茜(おどり・お芝居・うた) / PANTA(うた・ギター・お芝居)
<第一部>
鉄橋の下で
TAMBOURINE
いつまでも いつまでも(ザ・サベージ)
スワンの涙(オックス)
真冬の帰り道(ザ・ランチャーズ)
だからオレは笑ってる(未発表曲)
さようなら世界夫人よ
<第二部>
おまえと別れたい
それでも私は(short version)
網タイツはわたしの制服(新曲)
TAMBOURINE(reprise)
風の踊り子(新曲)