1988年から89年にかけて、ゼリーこと忌野清志郎率いるタイマーズがイベントで暴れまくった。タイマーズは、「不真面目をまじめにやる」という清志郎の引き出しを思いっきり開いた覆面バンドだ。
RCサクセションのアルバム『COVERS』の発売中止の異議申し立てのためにつくられたバンドだったせいだろうか。当時の私は、タイマーズに頭脳警察に通じるものを感じてしょうがなかった(少しでもタイマーズを知っている人なら「なに言ってるんだ?」と思うでしょうが)。
70年代から活動していた清志郎が、頭脳警察を知らないはずがない。彼は頭脳警察の政治に対するパッションに、自分の引き出しにないロックを感じていたのではないだろうか。若き日の清志郎が、表現したくてもできなかった政治的パッション。
時は流れて、『COVERS』事件で沸点に達した清志郎の社会への怒り。このとき、頭脳警察を思い出しても不思議ではない。清志郎は青春の忘れ物を取る戻すために、タイマーズをつくったのかもしれない。と、まあ、これは私のまったくの想像ですが。
そして、90年代頭脳警察。90年6月に復活して以来、順風満帆にステージを積み重ねたわけではない。私はそう思っている。
不安定なステージがあったことは否めない。11月の朝霞米軍基地跡におけるビデオ収録ライブ以前には、アンサンブルが崩れるステージが多々あったように記憶している。
アンサンブルということでいえば、基本的にパーカッションは、ドラムやベースと同じ「下もの(リズム系)」だが、あきらかにTOSHIのパーカッションは「上もの」である。これはステージの視覚的な要素、あるいは観る者の思い入れも大きく作用しているとは思うが、TOSHIのパーカッションはボーカルやギターと同じ「上もの」でこそ成立する。この位置にハマらないと、観る者を不安にするのだ。
PANTAのギターの特長は、あのガシッとしたカッティングにあるだろう。「Blood Blood Blood」が顕著だが、シンプルなコードのカッティングで、あれだけ聴く者の想像力を膨らませるギターは稀有だ。個人的には、ジョン・レノンのギターと同質のものを感じている。
頭脳警察のサウンドは、「ノリ一発」というイメージがあるかもしれないが、PANTAのギターとTOSHIのパーカッションを立たせるのは、簡単ではないはずだ。藤井一彦、下山アキラ、後藤升宏は、当初戸惑うことも多かったのではないだろうか。しかし、半年を過ぎたあたりからPANTAとTOSHIの音が心地良く立つようになった。3人の演奏はもっと評価されていい。
ソリッドに過ぎず、かといってアンサンブルを意識したサウンドなど、だれも求めていない。耳かき一杯ほどの塩で味を極めるシェフのような繊細さを、3人のメンバーは毎回ステージで成功させていたのだ。
ところで私の記憶が正しければ、タイマーズと頭脳警察が同じステージに立つことはなかった。
政治的パッションを体現したタイマーズ。ロックの繊細さを体現した90年代頭脳警察。そんな2つのバンドの対決を観てみたかった。夢は夢のまま。これもロックの醍醐味かもしれない。
(フリーライター:須田諭一)