“クリスチャンじゃねぇのに騒ぐんじゃねぇよ”というコンセプトで始めたUnti・X’masも去年で四年目になった。
本来はAnti・X’masなのであるが、オレがAをUとスペルを勘違い(途中で誰か気づけよ!)してしまい、ウンチクを語るウンチクリスマスとして強引に続けてきてしまった。
一回目はゲストに短歌絶叫詩人である福島泰樹さんを呼び、彼は法華宗の住職でもあるので、法華宗からクリスマスに対してひと言と振ると、福島さんがいきなり大声で
「くたばれーっキリストーッ!」と叫ぶので、思わず、福島さん、もうキリストはくたばってるんですけどと突っ込みを入れてしまった。その後で、福島さんは坊さんなんだから、まさかクリスマスなんて縁がないんでしょ?と聞くと、
「いや、昨日のうちにやっておきました」と応えられ、どうリアクションしていいか困ってしまった。
最初はオレがパンタクロースとして、いろんなゲストを呼び、来てくれたみんなでワイワイガヤガヤとやる立食パーティーのような形式を考えていたのだが、やっていくうちに、やっぱりコンサートのウェイトが大きくなっていき、アンチと言えどもやってることは普通のクリスマス・コンサートと同じという形に落ち着いてしまった。違いはプレゼントであろうが、パーティーであろうが、前にアンチ(Unti)という冠詞?が付くか付かないかだけである。
クリスチャンはちゃんとクリスマスを祝えばいいし、エホバの証人などのように教会を持つことも拒否し、クリスマスも神とは無関係という人は、それはそれで良いのであって、信教の自由をとやかくいうイヴェントではないということは断言しておきたい。最初は冗談で、会場へ降りてくる階段にキリストとか13使徒とかマリア様の絵とかを貼り付け、踏み絵階段にしようかなどという案も出たのであるが、そうなるとこれは踏みたくないと三段跳びくらいで降りてこられて怪我をされても困るということで、この冗談みたいな案は自分の中で却下してしまった。
話は遡るが、オレの通った幼稚園は“こひつじ幼稚園”というところで、マリア様にお祈りしないと、おやつのミルクをもらえないという、それはそれは厳格?な幼稚園であり、このこともトラウマになっているのかもしれない。
話はそれてしまったが、二回目のゲストは社会学者の宮台真司くんに来てもらった。
トークステージの出待ちのときに、
「ずいぶんと大上段に振りかぶったものですねぇ・・」と言われてしまったことを印象的に覚えている。
で、本編の話は、赤いチェックのミニスカートを嫌いな男はどこにもいないという、クリスマスとは何の関係もない話で終わってしまったのだが、睡眠時間を一日2、3時間しか取れない忙しさの中で来てくれたことだけでも感謝したい。
三回目のゲストは橋本治であり、いま“上司は思いつきでものを言う”という本を書いてるんだよぉという話で始まり、後は、オレが彼に
「早くちゃんと仕事しようよ!」と言われ続けて終わってしまった、はい、今年はちゃんとやりますよぉ! → 橋本様
そして昨年が四回目になるUnti・X’masであった。今回は恒例の曲として演っていた”悪魔を憐れむ唄”、そして今まで秋間に唄ってもらい、オレがベースを弾く”アナーキー・イン・ザ・UK”は外し、いつものパンク・バージョンの“WHY X’mas?(White X’masではない!)”だけをやった。今回はI’m dreaming of〜を、I wonder that 〜に歌詞も変えて歌ったのだ。
ちょっと前にレッド・ツェッペリンの訳詞を宝島のムック本でやったのが意外な反響を呼び、他のアーティストの曲も訳して、それを一冊にして出したいというリクエストが来ており、そのついでと言っては何だが、今回はアナーキーの茂プロデュースのカヴァーアルバムでやった“ハウンド・ドッグ”と、新たに“DOG”のあとは“GOD”でしょうということでジョン・レノンの“GOD”、そしてビートルズの“REVOLUTION”を、オレの訳詞で唄ってみた。
ベートーヴェン好きであった故義父が以前、訳詞で唄うというのは作曲者に対する冒涜だと語気を荒くして言っていたのが思い出されるのだが、歌詞の意味を伝えるという重みのほうをオレは選択した。5曲オープニングアクトとしてやり、AKIMA&NEOSに引き継いだ後、今回、わざわざ足を運んでくれた重信命さんにトークゲストとしてステージに上がってもらった。いつも政治的な場などで固い話を強いられている?彼女だと推察されるので、出来るだけ今日は楽しんでもらおうという気持ちもあり、なるべく楽しい話でいきましょうということで始まった。レバノンのクリスマスの話や、若者のファッションの話など、とても興味深い話をしてくれて聞き入ってしまいました。
特に世に知られている、お母さんである重信房子さんの書いた“林檎の木の下であなたを生もうと決めた”という本の話をしたときに、
「林檎という言葉にレバノンと日本というふたつの故郷という意味が込められている」と聞いた時には、返す言葉も見つからないほどの感情に身を揺さぶられてしまった。
彼女を拍手で送り出した後、今度は鈴木慶一とのトークであった。彼は本当に心を許せる友人であり、過去に敵対関係にあると錯覚していた時代が信じられないほどの付き合いをさせてもらっている。アルバム“マラッカ”で知り合った慶一との付き合いは、まるで“幼な馴染み(歌:堀ちえみ、詞曲:オレ、編曲:鈴木茂(はっぴいえんど))”のように腹を割って話せる相手であり、故にトークと言ってもほとんど内輪の馬鹿話で終わってしまうのが常なのであるが、今回は、彼がつい最近やった“座頭市”の映画音楽などにも触れて、オレとしてはなかなかのホストぶりではなかったかなと思ってる。
面白かったのは、昔っから、ロックのコンサートでは付き物の客を煽る言葉のこと。
ずっと昔から模索していたことを、客に逆に聞いてしまったことだ。アメリカンな煽り言葉が日本でも定着しているが、あまりに陳腐で、とってもオレには出来ない。
以前、みんなどうしてるんだろうと、いろいろ聞いていたところ、オレのPAエンジニアをやってくれている高沢良が、メタルの連中のライブを一回聴きにくれば?と言ってくれた。客がパラパラとしかいない狭いライブハウスで、ヴォーカル君が、
「そんな後ろのほうで座ってばかりいると、お尻が椅子の形になっちまうっぜぇーっ!」と叫ぶという話を聞いた時には、受けすぎて腹を抱えて笑ってしまった。
で、今回、こういうことを叫ぶ連中もいるんだよと、オレもその言葉を発してみたのだが、こういうことを言うやつもいて可笑しかったという注釈を付けなかったもので、そのまんまオレが発した煽りの言葉と受け取られ、客席にいるお客の顔に縦スジがいっぱい浮かんでいるのが見られ、逆にオレの顔に縦スジが何本も引かれてしまった。
元々ロック自体が、アメリカで発祥しているわけで、いざ日本の煽り言葉というのを探してみてもこれがなかなか見つからない。
ソイヤソイヤッ!ヨイショッ!オラァ〜ッ!まして”エイエイオーッ”などと、ときの声をあげても始まらないし、この辺は桃尻言葉の大家である橋本治先生に、日本の煽り言葉について聞いてみてもいいのかな・・・。
それで思い出したのだが、彼が中央公論社の軽井沢の寮に半年も引きこもって“窯変 源氏物語”を書いているときに、電話してきて、
「いやぁ、大変なんだよぉ〜っ、雅楽の演奏会って、現在で言えばライブじゃない? で、そのライブの高揚感を横文字を使わないで表現するってのがとっても難儀している・・」という。確かに平安の宮中での演奏会にエキサイティングだとか、グルーヴがとか、Fuck!とか使えるはずもない。
やっぱり元々オレ達の身体には、そういうDNAは組み込まれていないんじゃないかとも思っているのだが、それなりに気持ちが高ぶったのなら、自然に思いの丈をぶつけていくのがオレらしくていいかなと思いつつも、いまも心のどこかで煽り言葉を模索している今日この頃♪
沖縄であれば電車の時間に左右されることなくコンサートを続けることが出来るのだが、こと東京などは特に終電に合わせてすべてのイヴェントが組まれている。
今回もなるべく早めに終わろうと思ったのだが、やっぱり11:20分という時間になってしまった。終電に間に合わないという人がライブ途中で帰らなければならないということになってしまったのだ。
会社からメシも喰わずに急いで会場へ駆けつけ、ペコペコの腹を抱えながら、終わってからも仲間と、飲み食いしながら談笑する時間もない。これはオレのコンサートに限って言っているのではないということを理解してもらうとして、一度JRの友人に文句を言ったことがある。深夜、一時間に一本でもいいから電車を出してよってね。
そしたら、「いまでさえ終電から始発まで3時間しかないんだよ、その間にメインテナンスなどすべてこなさなきゃならないっ! もし事故とか何かあったら全ての責任をウチがとらなきゃいけないんだよっ!」という言葉を返されてしまった。じゃ、24時間動いているニューヨークの地下鉄はどうなんだよ!と言い返したかったのだが、かわいそうだからやめにした。
だからと言っては、また嘘つき呼ばわりされてしまうので、断言は避けるが、今年は23、24日と2Daysってのもいいよなと、オレが勝手に思ってる。だって今は“429Street”じゃないもんね。
(2005年2月)