自分史vol.7でシムカ1200Sクーペの話をした。オレが乗ってきた車&バイクには、それぞれ数々のドラマがあるのだが、このシムカほどのドラマはそうあるまい。
とにかくこんなに惚れ込んだ車は滅多にない。
排気量1200ccであるにも関わらず、当時としては、かなりのハイパワーである82psという直列四気筒のエンジンをリアに積み、フロントにラジェターを持ってきた高性能スポーツカーである・・・と、少なくともオレはそう思いこんでいた。
ギヤ比が高いので、街乗りとかのスタート時には、どっちかというと轟音をたてながらもヨッコラショという感じの出足なのであるが、一旦走り出したら、そのハイギヤードを生かした高速ツーリングは何者にも代え難い快感をもたらしてくれたものである。
エンジンがリアに置かれているため、プラグ交換などは熱くヒートしたエンジンルームの奥まで手を突っ込み、手探りで作業せねばならないので、何度、腕を火傷したかわからない。
エンジンフードを開くと横にプラグが四つ並んでいる友人のミニクーパーなどを見ると、ただただ整備のやり易さに羨ましくなったものである。
そのシムカの最大の魅力は、何と言っても、オレを魅了して止まないそのスタイリングである。後で語る事件にも関係してくるのだが、もともと、シムカというフランスのメーカーは、イタリアのフィアットをフランス国内でライセンス生産していたメーカーで、この1200Sクーペの元になっている1000クーペなどは、どちらかというとフィアットの850クーペの流れを汲んだスタイルである。
そしてこの1200Sのボディの脇には、誇らしげにトリノ・ベルトーネというエンブレムが貼られている。
そう、このスタイリングをデザインしたのはあのベルトーネなのである。
小ぶりながら、このスタイリッシュなクーペをこよなく愛でていたのだが、二年目にして事件は起きた。
ドンッという音と共に、シフトレバーがどこへも入らなくなってしまったのだ。近くのご近所付き合いをさせてもらっているクルマ屋さんの場所を借りて、ミッションを降ろし、バラしてみたら、何とセカンドギアのシンクロリングが砕け散っており、その破片がローギアまで傷つけてしまっているではないか・・・。
これは一大事とばかり、当時、シムカを扱っていたディーラーの国際興業へ行き、ロー&セカンドギアとシンクロリングを注文出来るか?と聞いたところ、そのパーツは2種類あって、どっちかわからないので、両方注文しなければならない、そして注文してもいつ来るかはわからないし保証しかねるという返事を返されてしまった。
とにかく日本で20台しか輸入されておらず、果たしてその当時で10台走っているかどうかという車なので、そういう返事を返されても無理はないのだが、じゃちょっと考えますと答えて、その場を後にし、さぁ、どうしようかと考えたあげく、前述したようにフィアットのライセンス生産をしていたのだから、パーツは、たぶん共通のものを使っているに違いないと思い、今度はフィアットのディーラーをやっていた西武自動車に乗り込んだのであった。
そしてフィアット850の、一速と二速のギアを見せてもらったのだが、まるでうり二つのように見えて、微妙に大きさとかがズレて違うのである。
このときの落胆と言ったら、自分でもかつてないくらいくらいのものであった。
さあ、次の手を打たねばと思ってる矢先、友人が、フランスの日本大使館に伝手があるので連絡してあげるよと言ってくれて、先方の日本大使館の友人も快く、オレの頼みを受けてくれたらしい。
それはもう大喜び!さっそく問題の一速と二速のギア、及び破損したシンクロリングのカケラを厳重に梱包し、これと同じものを買って、日本に送って欲しいと、フランスの日本大使館へと送ったのであった。
・・・・・・・それから随分と月日は経ち、半年、そして一年になろうかという頃、ひょっとして船便で送ったのかなぁ・・、だとしたら今頃、インド洋あたりなのかなぁ・・と、不安な気持ちを抑えながら、カレンダーと睨めっこする日々が続いていた。
そして、これはやはりもう一度、連絡を取ってみたほうが良いと思い立ち、先方に連絡を入れてみると・・・、何と!・・・航空便でとっくの昔に送ったとのこと。
じゃ、何で届いていないんだ? これは一体、どうしたことだ!
もう頭がパニック状態のまま、その送ってくれた便名も教えてもらい、航空会社に連絡を取ってみたところ・・・、これまた何と!!!!! 赤軍派(正確には日本赤軍)にハイジャックされて、リビアのベンガジで爆破されていたのであった!!!!!!!!!!
確かに、ハイジャックの話は知っていた。しかし、その飛行機にオレの大事な大事な大事な大事なパーツが入っていたとは・・・・あぁ、何と皮肉なことよ。
資本主義の権化のような車のパーツのことで赤軍派に文句を言うわけにもいくまいし、オレはどこにこの怒りをぶつけたらいいのだと、宙を見つめて途方に暮れていたのである。
(この話は、Tipoという車雑誌に、オレが海に向かって、赤軍派のバカヤロー!と叫
んでいる絵で終わる漫画になっている)
★ 追加のはなし
つい先日、リッダ闘争32周年記念パーティーがあり、オレも呼ばれて顔を出してきたのですが、スピーチが回ってきたところで、頭脳警察の事務所の電話を無断使用した電話代とか、オレの大事なシムカのパーツのこととかを、同じく諸々の被害?を被っているW監督などとともに、ぶちまけて来ました。
やり場のなかった昔年の恨み?を思い切り当事者達にぶつけられて、本当に清々した次第(爆)
それからしばし空虚な日々が続いたのだが、そうもしていられず、最初に戻って、国際興業へパーツを注文に行ったのであった。最初からそうしていればとも思うが、そこはそれ、歴史に“if”はないのだから・・・それから半年ほどして、やっとパーツが手元に届いた。
置かせてもらっていたクルマ屋さんで、友人と共にミッションを組み始めたのだが、一年半に及び工場の片隅を占拠し、それだけでもひどい迷惑をかけているのに、夜中まで工場を借りて作業をやっているものだから、親切にも、クルマ屋のご主人が夜食まで持ってきてくれて、そのことは死ぬまで忘れないくらい、今も感謝し通しである。(ちなみに所沢の内野自動車という処)
ミッションを組み始めたのは良いのだが、前述したように、一速二速ともども二種類づつあるわけである。これはもう賭けでしかない。
とにかく一枚ずつ着け終わり、車体を持ち上げ、エンジンにミッションを取り付けて、始動させ、ギアをリヴァースに入れてみる。
しかしクラッチを話すと同時にギアも抜けてしまい、何度やっても同じ結果に終わってしまう。オレと友人は、ため息をつきながら、あぁぁ、もう一度、違うギアで組み直すか・・・と、小声で語り合っていた。
そして、数日後、再度、エンジンに取り付け、やってみると、動いた!
見事に復活したのである!
その時の、あの喜びは、いまになっても、うまく表現しきれない程だ。
こうして、ほぼ二年弱の歳月をかけて復活したシムカを駆り、ZKのリハーサルだかコンサートだか、記憶が定かではないが、出動したのである。
その帰りの出来事があまりに鮮明だったもので、こういう書き方になってしまったが、環七の大原交差点を過ぎたあたりで、隣に乗っているTOSHIが、あれっ、いま曲がって入ってきたのシムカじゃない?と言ったのだ。
TOSHIは、ブルーバードっていうと、あぁ、赤い車でしょ?っていうくらいの車音痴。そのTOSHIの発言だからして、あぁそう、きっとそれはフィアットっていう車なんだよと、オレも適当に相槌を打っていたら、後ろにいた頭脳警察の楽器車が猛烈な勢いで隣に並んで来て、車内から夢中になって、前方に指をさして、オレに見ろと叫んでいる。
えっ、なにっ?と、指示されるままに、前方を見てみると、真っ白い(オレのは真紅)シムカの1200Sクーペが走っているではないか!
全国に20台しか輸入されておらず、10台現存しているかどうかという希少車が、何と復活したばかりのオレのシムカの前を走っている。
それは、環七での猛烈なカーチェイスの始まりを意味していた。
相手のシムカも、相当なスピードで飛ばしているのである。
楽器車も遅れをとるまいと、必死でついてくるのがバックミラーに映し出されている。
そしてとうとう、高円寺陸橋の手前で相手の横に並ぶことが出来たとき、窓越しに止まれと合図する真紅のシムカを見たときの、相手の驚いた顔はいまでも忘れない。
Tさん(白のオーナー)は、国際興業のメカニックで、大好きで乗っていたのだが、まさか同じシムカに出会うなんてと、オレ以上に感激してくれた。
これからメインテナンスなど、いろいろ面倒みますよと言ってくれて、出会えたこともそうだけど、どれほどその言葉が嬉しかったことか。
それから随分と世話になったTさんだが、現在は札幌営業所に転勤になり、いまでも付き合いは続いている。
そんなTさんの友人でもあり、TOYOTAの営業マンだった人が、Tさんを介してオレの友人となり、これまたこの人がフレンチブルーのシムカ1200Sクーペに乗っていたのである。
これは一度、一緒にツーリングしなきゃいけないね、ということになり、ある日、フランス国旗ならぬ赤、白、青のシムカで行く当てもなく都内を流していた。
途中、トラックの運転手から、陸送かい?などと冷やかされながらも、奇妙な出会いで始まった三人の気持ちは、恥ずかしさというよりも、それさえ忘れてしまうような妙な連帯感で繋がっていたように思う。
ちょっと車を止めて休憩しようということになったのだが、目的地など設定無しに走っていたにも関わらず、オレが先導していたもので、何故か通い慣れた日比谷野外音楽堂の脇へ着いてしまっていたのである。
そして、その野音からは、ロックバンドの轟音が轟き渡っていた。
あぁ、キャロルか・・・・そう、それはあのステージを燃やして?問題となったキャロルの解散コンサートだったのだ。
何人かの音楽関係者とも顔を合わせたのだが、いや、コンサートを観に来たのではないと説明するのが、面倒臭くなるくらい、車をわかる人間でなければ、いや、わかっていたとしても、あまりに複雑で奇跡的で奇妙な繋がりを説明しても、たぶん理解不能であったろうと思う。オレ達でさえ、あまりの運命的な出会いに茫然自失しているといった具合だから、第三者にわかるわけがない。
随分と長いシムカの話になってしまったが、車のドラマに関しては、冒頭でも述べたように話尽きないのである。
次に乗ったアルファロメオの1750GTヴェローチェは一ヶ月点検から返って来るときに、目黒通りで追突され、乗っていたメカニックは無事だったらしいが、深紅のイタリアンレッドのオレのアルファは、見事に爆発炎上してしまった。
じゃ、しばしアメ車に乗ればと、先ほどのシムカで知り合い、すでに仲のいい友人となっているTさんが勧めてくれたので、シボレーシェベル・マリブーというフルサイズのアメ車に不本意ながらも、当座のつなぎとして乗っていた時代が、マラッカを作ろうとしていた頃だったのである。
それにまつわるエピソードなどは、また今度にしないと、いつまでたっても終わらない。
オレに車&バイクの話はさせないほうがいいと思うよ→スタッフ様へ