ラジオの電話リクエストとか音楽番組がとっても刺激的だった。
三号テープというとっても小さなオープンリールを使う、とっても小さなテープレコーダーを買ってもらった。そのマイクをラジオに近づけ、音をたてないようにして録音するのだ。いまだったら考えられないくらいの超アナログな行為であり、音も劣悪そのものであったが、好きな歌を繰り返し聞けるということがものすごく嬉しかった。
その後、卓上プレイヤーを買ってもらい、買った店でおまけでシングルを二枚つけてくれるというので、クリフ・リチャードの“サマーホリデイ”とビートルズの“ツイスト&シャウト”を選んだように記憶している。
ついでに奮発して初めてLPというものを買ってみた。
アルバムジャケットが、ジャック・ブラバムというレーサーが作ったブラバムのフォーミュラカーの写真で、内容もわからないまま、ジャケット写真だけで買ってしまったのだ。中身はサーフィン・ミュージックの後がまとして登場したホットロッドという、車の爆音などが挿入されているジャンルの曲が詰め込まれており、演奏しているアーティストはディック・ディル&デルトーンズというグループだった。
レコード棚を捜せば出てくると思うのだが、“マイ ジャガーXKーE”とか車の名前が連発される曲などが印象に残っており、小林旭の自動車唱歌とはまったく違うが、結構好きで聞いていた。
前述したようにレコードというのは中学生にとってはとっても高価なものだったので、もっぱら中古レコード屋通いが続いていた。
ビートルズが世に登場し、日本にもその旋風が吹き荒れだした頃、何が“プリーズ・プリーズ・ミー”だ、何が“抱きしめたい”だ・・・と、その軟弱さに拒否反応が起き、やっぱりオレはエルヴィスだった。
そんなときラジオで耳にしたのが“ツイスト&シャウト”で、このワイルドさには、すっかりやられてしまった。
もちろんB面に収められていた“ロール・オーヴァー・ベートーベン”もそれに拍車をかけたことは間違いない。
ビートルズはレノン&マーカートニーの連名で数々の名作を世に出してきたが、この“ツイスト&シャウト”も“ロール・オーヴァー・ベートーベン”も彼らの作品ではない。初期のビートルズに数多く見られる一連のカヴァーの曲であるのがわかるのは、それから随分と年を重ねてからだった。
遣隋、遣唐使、そして明治維新と日本の音楽が大きな変革を迎えたときは二度あるが、太平洋戦争に敗北してアメリカの音楽が大量になだれ込んできて、さらに60年代に入り、今度はビートルズが、戦後のベビーブームで生まれた若者達の心をしっかりと掴んでしまったのである。
ビートルズがヒットチャートを独占する中、いわゆるリバプールサウンズと呼ばれるイギリス出身のアーティストによる曲もどんどんチャートインし、ミュージックライフを筆頭に音楽雑誌が本屋の店頭に大量に並び、こぞって情報を仕入れようとする若者が買いまくっていった。
このオレも例外ではなく、もっぱらヤングミュージックという雑誌を愛読していた。この雑誌は主にカラー写真が充実し、情報というよりはそのアーティスト写真を楽しめるようになっていて、動く映像などは望めないその当時のオレたちにとっては、ファッションとか楽器とかステージ写真とかの貴重な情報源であったのだ。
レコードの内容などは買ってみなければわからないことが多く、最初のLPレコードをジャケット写真で買ってしまったように、レコード屋でジャケットのイメージで買ってしまうことも多々あり、買った後で、あぁこれは当たり、これはハズレと友人達と話していたのも日常の風景であった。
そして人並みに、世の流れとともに、ビートルズにハマリまくり、R・ストーンズ、アニマルズ、スペンサー・デイヴィス・グループと、どんどん黒っぽい方へハマっていったのであった。